保育園時代(2歳〜年長)のチャーミーといえば、運動会では常にフリーズしていました。
みんなが元気いっぱいに踊って走ってるなか、チャーミーだけが、泣きそうな顔でピタッ。時が止まったかのように、その場でフリーズ。
私は「できなくても、そこにいるだけで花丸だ‼︎」と自分に言い聞かせてましたが、本当の本当の心の内は、
「なんでうちの子だけ……」
「あの子、動かないよって思われてないかな…」
なんて、周りの目が気になって仕方なかったんです。
みんながスマホ片手にシャッターチャンスを狙う中、私は数枚だけ撮影して、あとは引きつったような笑顔で静かに見守り。内心「もう終わってくれ〜」と祈っていました。
しかも運動会が終わって、帰りの車の中では毎年恒例・チャーミーの大暴れ。もうこれは種目に入れていいんじゃないかってくらいの激しさで泣いて叫んで。たぶん彼は我慢の限界だったのでしょう。自閉症児にとって、大勢の人の前でみんなと同じように動くなんて、ストレスでしかなかったはず。
そんなこんなで、「こんなに辛そうなら、無理に出させずに休ませたほうがよかったのかも…」なんて悩むこともたくさんありました。
でも、です。
チャーミー、小学生になった瞬間、スイッチON。
あれ?あのフリーズはどこ行った!?
というくらい、今度は誰よりも楽しそうに、完璧な振り付けで踊ってるじゃないですか!しかもとびきりの笑顔つき!
かけっこは相変わらず最下位でしたけど、いやいや、そんなの全然関係ない!
みんなと一緒に楽しそうに走ってる、もうそれだけで私はもう感動で涙がボロボロ。

「みんなーー!うちの子見てぇ!!」って自慢したくなる気持ちでした。
きっと、当たり前のことが当たり前じゃなかった日々があったからこそ、
息子の一歩が、私たちにとってはジャンプ級の感動なんです。
そして思うんです。
チャーミーには“居場所”が必要だったんだって。
保育園の集団生活では、常に「みんなと同じ」が求められていたけれど、
小学生になって、彼には特別支援学級という少人数の、ほっとできる場所ができた。
それがチャーミーにとっての“安心の基地”。
「ここなら大丈夫」「自分らしくいていい」って感じられるようになって、
のびのびと過ごせるようになったのだと思います。
できないことに目を向けては落ち込んでばかりだったあの頃。
でも、こんなふうに“ふいに訪れるキラキラ”があるから、
「もうちょっと頑張ってみようかな」って、そう思える。
今日もまた、チャーミーに教わる毎日です。